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長崎家庭裁判所 昭和34年(家イ)66号 審判

申立人 山田マサヨ(仮名)

相手方 三宅昌(仮名) 外二名

主文

相手方三宅正夫が、相手方三宅昌と同川本ミヤ子の子でないことを確認する。

事実

申立人は、昭和二一年頃相手方三宅昌と婚姻し(法律上の手続を経ず、内縁関係)、同二三年一〇月一九日相手方三宅正夫を分娩し以来申立人において正夫を監護養育している。ところが、申立人は昌が相手方川本ミヤ子と離婚したものとして昌と同棲し、正夫を分娩したが、しかし昌がミヤ子と離婚(法律上正式に)していなかつたため、正夫は昌とミヤ子との間の子として届出でられ入籍している。

なお、相手方昌は、昭和二七年一二月九日川本ミヤ子と、昭和三〇年一〇月七日申立人と夫々離婚したものである。

このように、正夫は、申立人と昌との間の子であるのに、ミヤ子と昌との間の子として誤つて戸籍に記載されているので、これが訂正のため、主文と同旨の裁判を求めるため本申立に及ぶ。と述べ、相手方三宅昌は、当裁判所の調停、審判の各期日に出頭しなかつた。また、相手方川本ミヤ子、三宅正夫は「申立人との間に合意が成立し、申立について争はない。」と述べた。

理由

申立人と相手方川本ミヤ子、三宅正夫との間においては、当裁判所の調停で、申立のごとき合意が成立し、かつその原因についてもまた争いがないところ、唯相手方三宅昌は、当裁判所より遠隔の地に居住していることと、勤務の都合等のために当裁判所の調停期日に出頭しないために当事者間に調停で合意が得られないのであるが、当裁判所の同人に対する横浜家庭裁判所への調査嘱託にもとずく、調査報告書(同裁判所調査官に対する調査結果)によると、昌は昭和二一年頃外地から日本へ引揚げ後長崎市内で石鹸の卸販売業をしているうち申立人と知り合い、のち情交関係を結ぶにいたり、申立人は、昭和二三年一〇月九日長崎県上県郡○○○村大字○○○三宅富士夫(昌の実兄)方で相手方正夫を分娩し、正夫を昌とその妻ミヤ子との間の子として届け出でられた事が明白である。

(また、公文書である疎第一、二、三、四号証、および川本ミヤ子、山田マサヨ、三宅昌の調査官に対する各調査の結果によつても、申立の事実を全て認めることができる。)

そこで、当裁判所は、以上述べた当事者双方に存する一切の事情をかれこれ合わせ考えた末、本件について調停は成立しないが、しかし調停に代る審判によつて紛争の具体的妥当な解決をはかるのを相当と認めるので、調停委員の意見をきき当事者双方のため衡平に考慮し家事審判法第二四条に則り主文のとおり審判する。

(家事審判官 原清)

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